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愛の神様がなぜ審判をしないといけなかったのか 天聖経より


天聖経の訓読をしていて きずいたことです


私が特に興味深かった、み言葉の場所です


天聖経より


※ 宇宙を創造された愛の神様であるのに、このように嫉妬と、復讐と、恐怖心と、カナン7族を無慈悲にも滅ぼすという、このような性稟があっていいのでしょうか。旧約時代は、天使が仲保となって神様に代わった時代だからです。


今日まで、モーセの前に現れた主なる神が天使であるとは知らずにいます が、新約聖書の使徒行伝第7章を隅々まで見ると、天使だと記録されています。



7:38節

この人が、シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会にいて、生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。 

7:53節

あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」

※たしかに、御使いとありますね。 きずきませんでした。



 こののように旧約に現れた主なる神とは天使であって、神様そのものではありません。旧約時代は、僕の時代です。息子ではない僕に、父として神様が現れることはできないのです。
主なる神は、モーセが神様の名を尋ねたとき、「神様は「わたしは、有って有る者」と答えて、「主なる神」と名を教えます。
しかし民族の前に出たモーセは、先祖の神、すなわちアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と、主なる神が、 先祖の神様であることを強調します。



「主なる神」とは、天使のことです。旧約は僕の時代だったので、神様の本当の姿を現すことができない時代です。


サタンの男を生かしておけば、 サタン世界が再び侵犯するので、そのようにさせたのです。
サタンの男がいれば、自分の妻を連れていって思いどおりにするので、男さえ脈を断ってしまえば、子供と女は天の側に属することになり、その制度がなくなるのでそうさせたの
です。


クリスチャンも旧約の神様と新約の神様がちがうと
言い張る人がいます、でも同じ神様ですね
イエス様も自分は十戒のみ言を完成させるために来たと
おっしゃいました


審判せざる得ない、宇宙を創造された愛の神様
一人子イエス様を犠牲にしてまで、サタンの物となった人類を
救おうとされた、あまりにもかわいそうな神様を
知っておられた真のお父様のお祈りを思い出します
真のお父様のお祈りを聴いてこの人は再臨主だとおもった
康真のお母様の証をおもいだします



天聖経 130pより


①主なる神の属性
2) 主なる神の正体


 モーセが愛の神様を紹介することができず、全能の神様、能力の神様、審判の神様を紹介した理由は、イスラエルの民に律法を与え、律法によって天の民を保育するためであり、乳と蜜の流れるカナンの地に連れていくための復帰のみ旨を成就することに、その目的があったということを知らなければなりません。


 乳と蜜の流れるカナンは、荒野で十戒と律法を受け、契約の箱を担いだ、 生まれ変わった人だけが行く所です。 神様は、出エジプトをしたイスラエル民族に神様の民として再創造するためのみ言を下さったのですが、彼らがみ言どおりに行わなければ、むちで打ち、怖い刑罰を加える恐ろしい神として現れたのです。


 サタンが王になっていた旧約時代は、メシヤが現れるまで悪魔が権勢を握る時代なのです。モーセにとって主なる神は、恐ろしい恐怖の神、復讐の神、嫉妬の神として現れ、罪ある僕となった人間を律法でむち打ち、法度に反すれば容赦なく刑罰を加えた時代 旧約時代です。 旧約の主なる神の属性を見ると、妬心の強い神として、自分以外の他の神に仕えるならば恐ろしく嫉妬される 神様であり、イスラエル民族にカナン7族を残らず滅ぼせと命じた残忍な神様であり、律法と法度に反したイスラエルの民を目の前で倒した無慈悲な神様です。
宇宙を創造された愛の神様であるのに、このように嫉妬と、復讐と、恐怖心と、カナン7族を無慈悲にも滅ぼすという、このような性稟があっていいのでしょうか。旧約時代は、天使が仲保となって神様に代わった時代だからです。


 命には命で、目には目で、歯には歯、 手には手、足には足、やけどにはやけど、傷には傷、殴ったことには殴ることで返せという復讐に満ちた律法主義は、創造主、神様の性稟であるはずはありません。神様は愛であり、許しの神様です。
 モーセの前にも神様は、何度か現れます。ホレブ山で柴の中の炎のうちに、モーセを召命し、シナイ山の頂でも現れ、モーセに十戒を与えました。
  今日まで、モーセの前に現れた主なる神が天使であるとは知らずにいます が、新約聖書の使徒行伝第7章を隅々まで見ると、天使だと記録されています。
 


「40年たった時、シナイ山の荒野(あらの)において、御使(みつかい)が柴の燃える炎の中でモーセに現れた。あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。
 こののように旧約に現れた主なる神とは天使であって、神様そのものではありません。旧約時代は、僕の時代です。息子ではない僕に、父として神様が現れることはできないのです。
主なる神は、モーセが神様の名を尋ねたとき、「神様は「わたしは、有って有る者」と答えて、「主なる神」と名を教えます。
しかし民族の前に出たモーセは、先祖の神、すなわちアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と、主なる神が、 先祖の神様であることを強調します。


「主なる神」とは、天使のことです。旧約は僕の時代だったので、神様の本当の姿を現すことができない時代です。
旧約聖書を見ると、神様が「闘え」と言いましたか、「闘うな」と言いましたか。サウル王が戦争に勝利したのち、「女と子供だけ残して、男はすべて殺せ」と言われたのに、殺さなかったので罰を受けたことを知っていますか。
どうしてそうなったか、考えてみましたか。サタンの男を生かしておけば、 サタン世界が再び侵犯するので、そのようにさせたのです。
サタンの男がいれば、自分の妻を連れていって思いどおりにするので、男さえ脈を断ってしまえば、子供と女は天の側に属することになり、その制度がなくなるのでそうさせたのです。
そうしなかったことにより、異邦の神をあがめ、あらゆる異邦の淫乱(いんらん)な風俗が入ってきて、天の国が侵犯されたので、サウルが罰せられたのです。(124-202,1983.2.15)