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※ アベルは殺されてはならなかったのです。

アベルは殺されてはならなかった。殺されなければアダム家庭でメシアを迎える基台は完成されていた。それゆえ、アベルは死んではならないのです。。。そう考えると自らで家庭を守らなければならないことが分かるはずです。二代王様のやっておられることを理解せず馬鹿にする人たちのことはもはや相手にする必要がありません。。です。。。


聖霊のもとにーメシアの涙 さんの ブログに 国進様の語られた内容がありました。
いまの摂理、二代王様のみ言を理解する上で、とても参考になるとおもい、掲載させていただきます。よろしくお願いいたします。
いまだに、銃がどうのこうの言う人にぜひ。。。


<2012年天福祭 文国進説教「強い大韓民国(自由社会)」2012年1月25日(旧暦1月3日) 天福宮>
 
  **引用開始**
 
私たちはカイン・アベルの話はみんな知っているでしょう。カイン・アベルの話はみんな知っているでしょう? そうですよね。



その話は、どうなりましたか。神様はアベルを愛して、アベルの供え物を取りましたが、カインの供え物は取られませんでした。カインはそのことに対して怒って、結局アベルを殺してしまいました。



それで、この話は神様の愛を受ける人と、そうでない人との関係について多くのことを教えています。そのような講義をするとき、大部分の講師たちは「アベルがもう少し謙遜になっていれば、多分殺されなかっただろう」とこのように教えるのです。



本当にそうでしょうか。



アベルが本当に謙遜になれなくて死んだのですか?アベルが謙遜であったとしてもカインは多分アベルを殺したのではないでしょうか?考えてみてください。カインはなぜアベルを殺したのですか。
 
答えは簡単です。



(カインはアベルを)殺すことができたから殺したのです。



そうではないですか?



カインがアベルを殺せなかったら、アベルは死ななかったでしょう。



それは何を意味しますか?



アベルは多分とても心優しい息子だったと思います。家にいるときは父母をよく手伝い、祈祷もし、勉強も熱心にし、家庭のためにたくさんのことをしたでしょう。そして奉仕活動もし、祈祷もしましたが、運動はあまりできなかったと思います。ですからアベルは太っていて、弱かったでしょう。
 
台所で母親を手伝って料理をするので、そうだったのです。
 
しかしカインは、そのような仕事が面白くないと思うような人間でした。(カインは)外に出て鹿を追ったり、狩りをしたり、石を投げたりして、沢山の運動をしたので、とても強い男でした。石も上手に投げたでしょう。
 
アベルは弱くカインは強かったので、カインはアベルを殺したのです。



ひとつ質問しましょう。



アベルが日常(専業)は孝行息子として神から祝福を受けるような良い行いをしたとしましょう。しかしそれ以外の余った時間(副業・パート労働)では、強い人間ではないのでカインほど強くなれないのではないですか?



ところで(アベルは)頭は良かったのです。それで少ない余った時間(副業・パート労働)で発明家として仕事をするのです。そして銃を発明するのです。銃を作るのです。



もしアベルが銃を持っていたら、アベルは果たして死んだでしょうか?



これは笑い事ではありません。
これはとても深い神学的な問題です。



そして実はここに韓国的な世界平和を現実化する秘訣が隠れているのです。アベルが銃を持っていて、カインがまさにアベルを殺そうと近づいて来ます。それでアベルは銃を抜いて、これ以上近づくな、近づけば撃つぞと。



それではカインはこのような状況でどうするでしょうか。カインも馬鹿ではありません。死にたくはありません。死ぬのは嫌でしょう。ただ自己中心だという、利己主義という問題だけあるのです。それでそのような状況ではカインは当然逃げるでしょう。



ですからアベルが銃を持っていたならば、アベルも生きて、カインも生きて、二人とも生きたはずです。
二人とも生きているので、その後は地上で、二人の間のさまざまな感情的な問題を解いて、その家庭で平和を実現したでしょう。



そうなっていたら、その周囲に起こる世界の復帰歴史が必要ないのです。すでにメシアを迎える基台はアダム家庭で実現していたはずです。



私たちが数千年間の人類歴史の苦痛の歴史を経験したのは、結局、アベルが銃を持っていなかったからなのです。
 
  **引用終了**