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ヨナニムみ言 「わたしは聖書について何にもしりません」より1

ヨナニムみ言「わたしは聖書について何にもしりません」の内容の動画を文章にしました、文法など、色々とまちがいなどあると思いますが、とりあえず、ブログにのせます、とてもすばらしい内容なので、文章にしました、少しずつ誤字などなおして更新します。


ヨナニムお祈り


(天のお父様本当にありがとうございます、今日はここに集まって聖書の勉強をいたします。あなたのみ言に対してこころを開かせてください、
これまでにある、聖書に対するいろんな偏見とか、わだかまりに対してすべてそれを取り除いて、そしてそれを学ばせてください、神様、私たちはそれを神様の言葉だとおもっております。わたしは本当にあなたに従いたい、あなたについてゆきたいとおもっております、聖書をとうしてあなたがあまりにも多く愛してくださったからです、あなたと本当の関係を築いてゆきたいとおもっております、おどろくべきキリストの名前によって、祝福中心家庭ヨナ、、、の名前によってお祈りいたします。)


 二世、ここにどれだけ、居ますか?わたしはだいぶ年上の二世です、わたしは聖職者の娘です、わたしが生まれる前から父は聖職者として働いておりました、わたしが生まれたときから父が聖職者をしておりましたので、

 わたしは、ずっと教会で生活して日曜日の礼拝を逃げるとか参加しないとかはありませんでした、すばらしい鍵を話そうとしています、これまで自分は聖書に対して話したことはありません、自分が聖書を勉強する場合、原理講論を勉強する場合、わたしはもう知っているは、、、という傲慢な時期がありました、わたしは、このペンシルベニアの荒野にやってきたときに、わたしはむかし傲慢であって聖書について、何も知らなかったということが解りました、わたしはほんとうに聖書の本質的な本性というものを知らなかったとおもいます、もちろんいろんな聖書のタイトル、本の名前タイトル、ジョンとか、、、いうのは知っておりました、もしあなたが聖書について何も知らないとおもったら、同じボートにのっています、


 自分はこのように聖書を何も知らないと感じますか、それは大丈夫です、いまから出発できます、どうして聖書を勉強しなければいけないのでしょうか、旧約聖書と、新約聖書の内容をもう成就されましたか、お父様がメシアかどうかということはこの聖書を通してのみ理解できるわけです、ほかの宗教、イスラム教でも再臨というものは、ありません、再臨ということを本当に書いてあるのはキリスト教だけですから、聖書を勉強すればお父様がよくわかるわけです、ヒョンジンニムは最近お父様と、イエス様は一緒だと、話されています、イエス様は中近東の男性です、これはちがうかもしれませんが、神様から来たという点についてはまったく一緒です、ですから初臨のイエス様とお父様とは一緒だということです、皆様は国家メシアとかいろんなメシアを知っていると思いますけれども、本物のメシアというのは、まったくそれとちがっています、それが理解できるのは聖書だけです、新約聖書にはイエス様が命だとか、たとえの話とかがいろいろあります、考えてください、イエス様も真のお父様であったわけです、聖書読めばわかります、聖書をよめば、それをお父様と重ねて考えることができます、イエス様がめくらの人の目をひらいた奇跡は、お父様の奇跡でもあります、イエス様が水の上を歩いたという奇跡は真のお父様の奇跡でもあります、このようにイエス様とお父様が同じであるということを理解する読み方は力強いよみかたであります、皆さんは二世として、原理講論を勉強したと思います、原理講論の中には940もの聖書の言葉が引用されています、重なっている聖句もありますけれども、千近い聖句を引用して出来上がっているわけです、りんごジュースを飲むと考えてみてください、りんごジュースを飲む前にりんごがどういうものかということがわからないと、どうなりますか?わたしはりんごジュースは好きだけどりんごは知らない、意味がありますか、私は原理講論はすきだけど、聖書はよくしらない、というのがこれとよくにています、これ意味がありますか、八大教本をお父様は残されました、お父様が八大教材教本に手をおいて、これを祝福されたわけです、この八大教材教本の教えは、ほとんど聖書からきています、


 六百巻におよぶ、お父様のみことば全集があります、これもそうです、お父様の初期の説教は聖書から出発されています、おとう様は最初のころは、聖書からいろんなものをとっておられます、ですから、考え方というものも聖書からきています、八大教本のひとつは、平和の主人、血統の主人です、これは偉大なおとう様の説教のひとつです、この説教の中にも、お父様はいろんな例をあげておられます、アロンの知恵とかですね、アロンの知恵というのはですね、アロンの杖から新芽がでたという、聖書のなかの話から引用しておられます、ですからみなさんも聖書の内容を知らなければならないでしょう、あなたたちはみんな、そんなに勉強したくないや、、、という気持ちでしょうか、ほかにまだ理由があります、聖書を勉強しようという自然な結果ですね、神様を近くに感じるということです、ほんとうに近くに神様を感じることができます、本当に聖書を勉強すればそれを近くに受け取ることができるわけです、あなた自身が変わることができます、どうやってわたしたちは変わることができるのでしょうか、私たちはもっと感謝にみちた人間に変わることができるのでしょうか、私は実は、むかし感謝のできる人間ではなくて、おこることが多い人間でした、みんな想像できないでしょう、わたしは教会のなかでそだったわけで、なにか逆風のような反対のことがいろいろあったのです、教会の中には貧しい人、又は豊かに暮らしている人がいました、教会の指導者、教会の聖職者のなかにも堕落したような問題を起こした人がいました、わたしはなぜ、どうしてそんなに悪くならなくてはいけないのかと、自己正当化することがありました、外からみたわたしは本当にいい人に見えたとおもいます、しかし前は、わたしは本当に感謝に満ちた人間ではありませんでした、いつも怒っている怒りっぽい人間でした、聖書をよんだから、わたしはもう二つの翼ができて飛んで回れるよ、、、みたいな楽観的なことはいいません、わたしはいま完全な人間よ、とは言いません、で今ひとついえることは私は今感謝できる人間になったということです、それがたとえば小さな出来事であってもそうなりました、堕落性が減ってゆく、いうことです、たくさん堕落性ありますね、みなさん、自己憐憫、自分を哀れにおもうことも堕落性のひとつであると思います、わたしは実にとんでもない娘、とんでもない息子であると思うこともそのひとつです、結婚してますか、とくに女の子たち、結婚したらあなたたちはこういう道をたどるのですよ、わたしはどうしてこんなに悪い母親なんだろう、わたしはどこがまちがっているのだろうって思うわけなのです、私はこういう道をたどるということを今から保障してあげます、男の人は自己憐憫するのでしょうか、自分は終わりだなぁと、、、、自分の奥さんは悪いのだと、、、それは単に自分の奥さんを突き上げているだけなのです、どうして自分はそのように悪くならなければならなかったのか、わたしはこんなによくできているのに、あなたはどうしてそうなの、わたしの子供はどうなっているの、どうしてそんなに悪いの、それは堕落性ですね、自分のことを考える前に、ほかの人を指差して注意しているわけなのです、それも堕落性ですね、わたしは聖書を勉強してから、いろんなことを内的にわかる人間になりました、わたしは完全ではありませんけれどもそれです、わたしの子供たちに聞いてみてください、わたしも金切り声をあげて叫んだりすることがあるわけなのです、(笑い)
 もとのテーマにもどりたいとおもいます、口にできない語ることのできない喜びがある、、、人間ですね、 ときどきだれかに批判されたりします、だれかがわたしたちを批判して悪いことをいったりします、だれかがヨナニムは偽善的な人だ、ということがあります、頭の中にそれが張り付いたりします、 
 これをどうやって、これを取り去ることができるのかって、、、皿洗いをしているときでさえも、そのいやな言葉が自分の頭の中におこってきます、どうしてわたしにそんなんことを言っているのかと、周りの人が、あなたはなんでもいろんなことを知っているのよね、っていわれることもあります。そういわれたことが、頭にへばりついて、どうしてそうなのだろうと思うことがあります、マイクがわたしにそんなことを言っているなんて信じられないわ、、、と思うこともあります、だれがそうなのって、ひとびとの意見というのはいつもゆれているわけです、朝にはとってもいい雰囲気の中に生きていたわけです、マイクがわたしにそういう話をしたことによって、その後 マイクがもっと悪いんだ、、、、わたしは信じられないは、、、とおもい、だれがそうなの、、、と、ほんとうにいつもゆれていますね、、人々の意見というのはいつもゆれているわけです、朝にはとってもいい雰囲気の中にいきていたわけです、なにかがおこったとき、わたしたちはそれにふりまわされて、主管されてしまうわけです、そして私たちのよろこびはどこかへ飛び去って、わたしたちの喜びというものはいつも、一時的です、、、、
 聖書を読んで勉強するということは、生きた神様との関係をきずくということです、あなたはほんとうに、よろこびについて語る経験があるでしょう、、、
 この3については生きて働く聖霊についての内容です、いまいろんな人が証をしていますけれども、神様がわたしにこんなふうに証しました、と、そんな予言的な証があると思います、まあなんてこった、この人は神様と話ができるとおもっているの?そのはなしをきいて、自分としてはそんなにいい気持ちではないわけです、その人は次の霊媒師になりたいとおもっているのですかって、、、
 聖書をよむとですね、神様が、生きた聖霊が働いて、自分たちを導いてくれているのだなということがわかります、それはなんと美しいことでしょうか、それは神様がわたしたちを想像された目的です、神様が私たちと直接話ができるということです、祝福家庭の価値がほんとうにわかるということです、何人祝福を受けていますか、若い人はまだ祝福をうけていませんね?考えてみてくださいわたしたちはなぜ結婚しないといけないのでしょうか、どうして結婚生活を維持しないといけないのでしょうか?どうして私たちは祝福を受けないといけないのでしょうか、どうしてわたしたちは信仰深くなければいけないのでしょうか、そとの世界の男性のアンケートによりますと、そのアンケートで質問したわけです、あなたはかって不倫をしたことがありますかと、質問しました、その男性の答えにハイと答えた人がいます、どうしてあなたはそれをしたのですかという質問がつぎにしますと、どうしてそれをしたのだとおもいますか、“いいきもちになりたいからやっ”た、

 おおくの女性だっていま不倫とか浮気をやっています、どうして不倫をやったか、どういう理由だとおもいますか?第一の答えは何だったでしょうか?、、

 “だってそれって可能なんだもん”できるからやったんだよ、、ということです、だっていくらでも不倫なんてできるんだもん、という考え方です、だから結婚にたいしてそれを大切にしようというものがないわけです、もしあなたが一生懸命聖書をよんでよく理解できたら、そんなことを口に出すことがはずかしいと思うでしょう、



つづく