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メシアのいない時代と、メシアが来られた時代、革新的にかわった。


メシアのいない時代と、メシアが来られた時代の違いは
ほんとうに革命的に変わりました。


それまでの価値観にとらわれた人々はみんな
メシアに躓きます。
自分なりの価値観のままの人は、メシア、
二代王様に相対できず躓くことになります


なんども何度も二代王様、ヨナ様は聖書を知らなければ、
メシア、真のお父様
を正しく理解できないとおっしゃいます。


それで、私は聖書の勉強は絶対必要だと
思うようになりました。
頭には自信ありませんが、やるしかありません。


それで、聖書の勉強に参加するようになりました、
そして、自分が全く聖書を
知らないことを、思い知らされています。
本来真のお父様に従うべき人は
クリスチャンでした
そのことをわすれています
準備された人ではなかった自分
であることを悟れるのは
聖書をまなぶとわかるように
なるとおもいます、
そう思って少しづつ勉強しています。


自分が長い信仰をもってきたと
誇ることは全くできません


クリスチャンが来ていれば
お父様の若い日に天一国が
できたのです。
情けない、恥ずかしい自分が
しかたなく来たのです


そして今クリスチャンを迎え
その時を迎えようとしています。



少し聖書を勉強して感じたことを
掲載します。


※旧約の時代から、イエス様、そして再臨のメシアがこられて
どのよに変わったのか?



旧約聖書に精通した、
熱心なユダヤ教徒であったパウロは神様の
指示にとまどいます。
イエス様を受け入れはしましたが、
パリサイ派の熱心な信奉者
であったパウロ、長い間のパリサイ派を学びそして
旧約の戒めの生活を送ってきたパウロ、
イエス様を信じていても、
なかなか身についた生活はを変えるのに
闘いかいがありました。
いくら神様からいわれても、
躊躇する場面が新約聖書にあります。


使徒行伝の9章で神様がパウロに直接語り掛け、


旧約では食べてはいけないとの神様の戒めで食べることを
禁じられていた、物がたくさんある
パウロに旧約では禁じられていた動物などを
食べるように神様がいわれます。


10章では神様がパウロに異邦人を伝道するように示されます。


使徒行伝10章12節から


四つ足の動物、地を這うもの、空の鳥などが天から
降りてきて、神様がパウロに食べろと指示されます。
もちろん最初はパウロは拒否します。
しかし神様より


「神が清めたものをあなたが清くないと言ってはいけない」
と答えが返ってきます。


神が清めたので、食べるようにいわれます
旧約の戒めをしっているユダヤ人には
とても理解できないことです。


同じく
使徒行伝10章28節コルネリウスという敬虔な異邦人が
啓示を受けて、
パウロを訪ねてきます。そしてパウロは、
ユダヤ人は異邦人と交わることは許されていないが、
神がどんな人も清いとか清くないとか言ってはいけない
ということをことを示された…
つまり異邦人への伝道の道を示して下さったということです。


そのように、メシアがこられてその勝利によって
神様はいままで、食べてはいけないとの戒められていた
汚れた動物を清めそれをパウロに食べるよううながされます


そして異邦人と決して交わっていけないと戒めていた
異邦人への伝道を指示されます
イエス様もサマリア人の娘と話をされました


新約の時代もこのように変わりました。


再臨の真のお父様がこられて


清平で先祖解怨がお父様の勝利の恩恵によって
行われるようになりました
日本人はこぞって、清平の先祖解怨に向かいました、
一方クリスチャンから来た韓国シックや欧米のシックは、
ほとんど関心がなありませんでした、
それは新約では先祖の救いは一切
語られなかったからでした
清平詣は、ほとんどが日本人ばかりでした、
これは、馬淵睦夫先生の解釈などでもありますが、
日本人は先祖とともに生きてきた、
仏教的にも、神道的にも、
先祖供養がもっとも大事な日本人
先祖供養の内容を語らないキリスト教を受け入れなかった
どうしても受け入れない日本教があったのです
八百万の神信仰、神仏がったいなど、
キリスト教に先祖供養がない
これが、キリスト教が日本に定着しなかった原因で
あると、馬淵先生も解釈されています


キリスト教徒になっても、
なんでも拝むのが日本人
中途半端なクリスチャンは
お地蔵さんに手お合わせ
お正月には初もうでします
一方厳格な厳格なクリスチャンは
神社仏閣に手を合わせない
それで村八分になり、かわりもの扱いされる


キリスト教徒を迫害し、受け入れることが
できない何か大きな者がやどっている日本


ユダヤ教がイエス様を不信した。
日本教がイエス様を不信した。


しかし、真のお父様がこられて、先祖解怨の道が開かれた
これはクルスチヤンにとってはおおきなハードルだと
思われる、しかし、聖書にはイエス様がこられて
それまでの旧約の価値観をこわされた


そして再臨の真のお父様は新約の聖書にない
この先祖解怨の恩恵をくださった


メシアにはとてつもない権限があたえられている
あたえられていることが分かる


マルコによる福音書 2章1~12節


“人の子には地上で罪を許す権限が与えられている”とある


メシアはすべての権限をあたえられた神様のひとり子であることが
理解できる。



なんと、真のお父様再臨主は、イエス様の時代にない
この先祖解怨の摂理をされました今後
どのように日本に定着するか
不思議な門が開かれました


いまでも仏教系から来たシックたちは、
メシアとの関係より
仏教的解釈の先祖供養が信仰そのものになっている
とのことです


これは聖書を知らずにきた私たちも同じ間違いに
陥ることの教訓だと思います。


だから二代王様は
聖書を知らずば、メシア真のお父様を正しく理解できない
となんどもおっしゃり、聖書的でなければならないと
何度も語られるのだと
思います。


真のお父様のいない清平では一切先祖解怨はなされない
むしろ地獄に先祖たちは行くしかない
との二代王様のみ言を信じないシックたちが、
本当に熱心になけなしのお金をはたいて清平に詣でている。
霊界に行ってみないと分からないですね。


真のお父様ご存命のころ、あらゆる宗教の人たちが真のお父様によって、
彼らの宗教をいままでどうりつづけながら、
真のお父様を再臨主と受け入れれば、それで救われる、
あなたの宗教は、そのままつづけなさい。
とおっしゃられ、再臨主を受け入れればそれでいいとのことで
いろんな宗教者が一堂に会し
おおきな大会をされました
これは驚くべきことでした


そして今も、二代王様によってイエス様を受け入れ再臨主を待ちわびる信仰
があれば救いの恩恵にあずかるとの、大きな門がひらかれました。


四大聖人が霊界でひとつになり、イエス様とお釈迦様がとても仲がいいと
のお話も以前ききました


イエス様が来られて、旧約の教育で育った人たち、
イエス様を受け入れても、さまざまな抵抗がありました、
真のお父様を再臨主と受け入れてもクリスチャンから来た人たちは
いろいろとたたかいがありますね、これはパウロの試練ですね。


いずれにせよ、イエス様、真のお父様の勝利権によって神様はいろいろと、
新しい救いの摂理をされます。
シッカリ二代王様のみ言を理解し信じて歩むことが
寛容かと思います。
霊界の真のお父様の指示は二代王様に来ることを、
どこまでも信じること、


以前クリスチャンが、くちぐせのように
“”イエスを信じなさい、そうすればかわります“”
それしかいわないクリスチャンがいました


まず信じることによって
その恩恵がくる
そのことをいっていたのだと
いまわかりました。



霊界の真のお父様、イエス様、三大王権 マンセー、ハレルヤ、アジュー