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※ 備蓄する食品一例と保存水

※ ネット情報より ※


 ☆ 備蓄する食品の選び方


ここでは最低一週間の内容です
それ以上あるといいですね


[ポイント:日常使いしている食材の中で、
常温で日持ちするものをリストアップ]


・備蓄用にと特別に買い揃えずとも、
缶詰、インスタント食品、パスタ類、基本調味料、乾物、根菜類など、
家にある日持ちする食材は案外多いもの。災害時、冷蔵庫が使えないこと
を前提に、家族が1週間生命をつなげる最低限の食材のストック分として
数を補充し、その他必要なものを買い足す。


・災害直後は、電気・ガス・水道などのライフラインがとまることを想定し、
火や水が使えない状態でも食事ができるよう、
常温保存ができ調理しなくてもすぐに食べられる食品を多めに用意する。


・備蓄する食品は、特別なものではなく、
普段食べている銘柄のものがおすすめ。
災害時は不便な生活を強いられ、
緊張感も高いため、
なじみの味や食材が心身ともに活力源となる。


※ 自宅の保存食料 その他です


醤油、砂糖、塩、コショウなどです
そのた、薬類、ビタミン類も少しですが保存しています。


☆水の保存と食料の保存☆


※ 保存水については
良いホームページがあります
 ※愛知県衛生研究所 
https://www.pref.aichi.jp/eiseiken/4f/jishin.html


○○○のおいしい水     
これらの水は一年は大丈夫とのことです
これらをたくさん買っておくことおすすめです


お金がなければ、ペットボトルに貯めること
これは愛知県衛生研究所のHPに詳しくあります


わたしは、
できるだけたくさん自宅に
洗浄と消毒した
飲み終わったペットボトルに
汚染されてない水道水を
いまのうちに貯めています
少し増えた
大腸菌などは浄水器でじ除去できます
お薦めは浄水器 ソーヤミニです

※ 私のグッズ類 

今一度リマをされたji yea park moonチエ様の証

だいぶ前に、チエ二ムの動画から、おこした文章です、いまいちと、リマの重要性を感じて、掲載します。


☆昨日 文章におこしました、今日の朝、印象深い夢をみました、知鋭ニムのお話は、神様がわたしに語っておられるような気がしました、神様がすぐそばにいてくださっているのだということを、わすれて、不安な心や、自信のない自分がよくいます、なんども読んで実践して行こうとおもいました、(エルダーさん通訳何時もありがとうございます。)
(ブログ主)



 みなさんお腹すいてないですか、わたしは不足な点が多いのですけれども、ヒョンジンニムに従いながら多くのことを学んでいます、証をする中で特に去年の秋にお父様が語ってくださったみ言について、皆さんに語りたいと思います。


ペンシルベニアに来て三年になろうとしていますけれども、当初は本当に混乱した時期でした。
 その当時私は自分が努力して肯定的にみつめようとしました、私は真のお父様を直接見ましたし、また、ヒョンジンニム、国進ニムが間違ったことをしたのではないということを自分の目で確認することができたし、またお二人が自分の責任から逃れようとしたのではなかったということを見ましたし、


 当初はその当時は非常に混乱した、困難の時期だったのですけれども、これを私はできるだけ肯定的に見つめようとしました、今から考えると当時のその混乱をなるべく感謝しながら見つめようとしたのですけれども、私としては大変難しい時期でした、その当時の不安定な状態を国進ニムはごらんになっていたので私よりもそれはよく知っておられるはずです、


 ある日は新年を迎えながら、自分としてその年の、もっとうを決めないといけないと思うようになりました、その自分で決めた、もっとうというのは自分の心の中の本心を決めて、そしてお父様に向かって走ろう、、、、ただ行くんではなくて走って行こうということでした、そうやって生きよう、そのように生きようとするんだけど、、、一日一日過ごしながら、なにしろ、子女様が七人なんですね、そういう面で、精神的に物理的にいろんなことにぶつかりながら、生きていました、生活していました、


 私も普通、条件をたててよく祈るほうなんですが、けれどもその当時はそのようにして精誠をたてるとむしろ私が疲れてしまうのではないか、疲労してしまうのではないか、倒れるのじゃないかと、思ってむしろ現実に目をむけて、精誠をたてる事を一旦延ばしました。


 私は実は子供のころ九歳のころから精誠をたてて色んなことがあった、ということはあるのですが、それはまた機会があればお話しますけれども、とにかく、その三年前の混乱した状態では精誠をたてることもできない、祈ることもできない状況でした、ある日ヒョンジンニムを中心にリーダーの何人かが、会議をする場面がありました、ヒョンジンニムが言われたんですね、“ここにこのミーティングに参加する人は毎朝一緒に訓読会をしましょう、、、、”ということでした、


 私はその当時末の子が二歳だったので、この子が学校に入ったら、私がある程度時間が持てるようになってその時になったら精誠をたてよう、というふうに考えていたんです、ところがヒョンジンニムがそのように言われるので、それも神様のみ旨なんだなあと考えましたミーティングには参加するけれども訓読会はできませんとは言えませんですしね、、、、これはお父様がこれ以上のばさないで今すぐ訓読会をはじめなさいと言われているのだなあと感じました、


 ある日訓読会が終わって、個人的にお祈りをして、そしてお父様のお写真をずっと見つめていたのですけれども、お父様がいわれるのです、“あなたはわたしに走ってくる必要はないんだ”と、“どうして私と共に居るということがわからないのか”“私はあなたの横にいるんだ”と、“そばに居るんだ”と、そのとき私は目がパッチリ開きました、、ああそうなんだ、、どうして私はこういうふうに考えることができなかっただろうか、そして喜んで食事のときに国進ニムに話したら、国進ニムは“そうなんだ”と“あなたがオンマがそれは正しく見たんだ、正しく解ったんだ”と言ってくださいました、


 どうやってお父様に侍るかと思うときに、私たちは生活する中に、お父様はいつも私のそばにいらっしゃるんだと思うと、ここにいらっしゃるんだと思うと、私たちの態度とか、行動が全部変わってくるのではないでしょうか、
 神様お父様をただ信じるということと、ヒョンジンニムがよく言われるように、“関係を持つ”ということと、“ relationship” を持つということは天地の差だと思います、ある人はお父様がすぐここにいらっしゃると思うと凍ってしまって何もできないかもしれないと、いうかもしれません、しかし、考えてみると、何時も神様とともに居るということは、むしろ自由な生活です、それがいわゆる神様の創造理想、創造目的ではないですか、


 私たちはこれまでサタン圏に住んでいたので、その感覚を忘れているんですね、それをこれから練習してゆく必要があると思います、最初はわたしも大変でした、疲れました、
お父様に侍って生活しないといけないと思うんだけれどもある瞬間、お父様が何処かへ行って、自己中心的に、また言葉も自己中心的に言ってしまう、今も行ったりきたりしています、訓読会の時にもお祈りをしながら、“お父様を今日も何回か見失いました”というふうに悔い改めの祈祷をします、


 でも“毎朝のリマ”によってまた、私を掴んでくださいます、私が選ぶリマというのは、“神様とともに生活しなさい、その必要がある、”そういうような内容のリマが継続して出てくるんですね、私がいちいち探すのではなくて、開いてみるとそういう内容なんです、これは幾つかあります、その訓読会に参加する人が、この横にいますけれども、その中の幾つかを皆さんに読んで差し上げたいと思います、重生するならば、新郎であるイエス様の愛と新婦である聖霊の愛がひとつになった愛が、私の骨と肉とひとつにならなければいけない、“すなわち私があなたの中にいて、あなたが私の中にいるであろう”というイエス様のみ言のように、愛の心情基盤が出来上がる前は、キリスト教でいう復活はありえない、すべての宗教では、見るものを勝手に見ないで、聞くことを勝手に聞かないで、言うこととか、相対するものを勝手にしないように教える、見ることも聞くことも、話すことも、また感じることも、愛することも、神様を中心にしないといけない、自分を中心として、そうしてはいけないと言う事です、


 神様は観念的な神様ではありません、抽象的な神様ではありません、生活的な主体性を持って、何時も私たちの生活の主人として、ともに居られるのです、ですから私たちが侍るのを受けるだけの存在ではありません、共通の愛を中心として、共通の生活をしておられる神様なのです、、、お父さまもそれは夢のような話ですね、とおっしゃいました、つまりサタン圏にいる私たちにとって夢のような話ですね、 でも私たちはそれができるのです、そうでしょ、、


 神様の息子であり娘であるので、それを練習しないといけないのです、侍る生活をしなければならない私たちです、私たちが願う天国には出会ったけれども、私たちが侍り実践できる天国にはまだ出会うことができませんでした、すなわち生活的な面において、主体的な神様を知ることはできませんでした、神様がいくら高いといても、神様を私たちが愛の心で、わたしたちが呼べば、すぐに神様が私たちの心の中で答えて下さる、神様どこにいらっしゃるんですか、と聞くと、それはあなたのそばにいるんだと言うふうに答えて下さいました、神様が本来わたしたちの根本です、心の根本におられるのです、、、、、、


長くなるので、、、、、、


 こういうリマを私が受けたんです、不思議でしょ、、 私たちが実践すれば、お父さまは私たちのそばにおられ、見守ってくださるのですが、私たちがお父さまを除外してしまうんです、そのようにして、家庭連合が今お父さまから離れてゆく、お父様を切り離してしまう、そのような状態を見るとほんとうに心が痛いです、にもかかわらず、お父さまは放棄しないで、私たちがすこしでもお父さまの方向へ行こうとすると、すぐに私たちの横に、そばに現れてくださり、見守ってくださる、、、、そういうことを思いながら私たちはこれからも実践して行きたいと思います、みなさんんもお父さまの権威にもどる祝福をうけられたのですけれども、、、、わたしのもっとうは毎日、毎時間、毎分、すべての一分一秒、お父さまに侍って生きて行こうというのが、今年のもっとうです、このようにしてお父さまに侍って行きましょう。



              “カンサハムニダ”

愛の神様がなぜ審判をしないといけなかったのか 天聖経より


天聖経の訓読をしていて きずいたことです


私が特に興味深かった、み言葉の場所です


天聖経より


※ 宇宙を創造された愛の神様であるのに、このように嫉妬と、復讐と、恐怖心と、カナン7族を無慈悲にも滅ぼすという、このような性稟があっていいのでしょうか。旧約時代は、天使が仲保となって神様に代わった時代だからです。


今日まで、モーセの前に現れた主なる神が天使であるとは知らずにいます が、新約聖書の使徒行伝第7章を隅々まで見ると、天使だと記録されています。



7:38節

この人が、シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会にいて、生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。 

7:53節

あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」

※たしかに、御使いとありますね。 きずきませんでした。



 こののように旧約に現れた主なる神とは天使であって、神様そのものではありません。旧約時代は、僕の時代です。息子ではない僕に、父として神様が現れることはできないのです。
主なる神は、モーセが神様の名を尋ねたとき、「神様は「わたしは、有って有る者」と答えて、「主なる神」と名を教えます。
しかし民族の前に出たモーセは、先祖の神、すなわちアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と、主なる神が、 先祖の神様であることを強調します。



「主なる神」とは、天使のことです。旧約は僕の時代だったので、神様の本当の姿を現すことができない時代です。


サタンの男を生かしておけば、 サタン世界が再び侵犯するので、そのようにさせたのです。
サタンの男がいれば、自分の妻を連れていって思いどおりにするので、男さえ脈を断ってしまえば、子供と女は天の側に属することになり、その制度がなくなるのでそうさせたの
です。


クリスチャンも旧約の神様と新約の神様がちがうと
言い張る人がいます、でも同じ神様ですね
イエス様も自分は十戒のみ言を完成させるために来たと
おっしゃいました


審判せざる得ない、宇宙を創造された愛の神様
一人子イエス様を犠牲にしてまで、サタンの物となった人類を
救おうとされた、あまりにもかわいそうな神様を
知っておられた真のお父様のお祈りを思い出します
真のお父様のお祈りを聴いてこの人は再臨主だとおもった
康真のお母様の証をおもいだします



天聖経 130pより


①主なる神の属性
2) 主なる神の正体


 モーセが愛の神様を紹介することができず、全能の神様、能力の神様、審判の神様を紹介した理由は、イスラエルの民に律法を与え、律法によって天の民を保育するためであり、乳と蜜の流れるカナンの地に連れていくための復帰のみ旨を成就することに、その目的があったということを知らなければなりません。


 乳と蜜の流れるカナンは、荒野で十戒と律法を受け、契約の箱を担いだ、 生まれ変わった人だけが行く所です。 神様は、出エジプトをしたイスラエル民族に神様の民として再創造するためのみ言を下さったのですが、彼らがみ言どおりに行わなければ、むちで打ち、怖い刑罰を加える恐ろしい神として現れたのです。


 サタンが王になっていた旧約時代は、メシヤが現れるまで悪魔が権勢を握る時代なのです。モーセにとって主なる神は、恐ろしい恐怖の神、復讐の神、嫉妬の神として現れ、罪ある僕となった人間を律法でむち打ち、法度に反すれば容赦なく刑罰を加えた時代 旧約時代です。 旧約の主なる神の属性を見ると、妬心の強い神として、自分以外の他の神に仕えるならば恐ろしく嫉妬される 神様であり、イスラエル民族にカナン7族を残らず滅ぼせと命じた残忍な神様であり、律法と法度に反したイスラエルの民を目の前で倒した無慈悲な神様です。
宇宙を創造された愛の神様であるのに、このように嫉妬と、復讐と、恐怖心と、カナン7族を無慈悲にも滅ぼすという、このような性稟があっていいのでしょうか。旧約時代は、天使が仲保となって神様に代わった時代だからです。


 命には命で、目には目で、歯には歯、 手には手、足には足、やけどにはやけど、傷には傷、殴ったことには殴ることで返せという復讐に満ちた律法主義は、創造主、神様の性稟であるはずはありません。神様は愛であり、許しの神様です。
 モーセの前にも神様は、何度か現れます。ホレブ山で柴の中の炎のうちに、モーセを召命し、シナイ山の頂でも現れ、モーセに十戒を与えました。
  今日まで、モーセの前に現れた主なる神が天使であるとは知らずにいます が、新約聖書の使徒行伝第7章を隅々まで見ると、天使だと記録されています。
 


「40年たった時、シナイ山の荒野(あらの)において、御使(みつかい)が柴の燃える炎の中でモーセに現れた。あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。
 こののように旧約に現れた主なる神とは天使であって、神様そのものではありません。旧約時代は、僕の時代です。息子ではない僕に、父として神様が現れることはできないのです。
主なる神は、モーセが神様の名を尋ねたとき、「神様は「わたしは、有って有る者」と答えて、「主なる神」と名を教えます。
しかし民族の前に出たモーセは、先祖の神、すなわちアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と、主なる神が、 先祖の神様であることを強調します。


「主なる神」とは、天使のことです。旧約は僕の時代だったので、神様の本当の姿を現すことができない時代です。
旧約聖書を見ると、神様が「闘え」と言いましたか、「闘うな」と言いましたか。サウル王が戦争に勝利したのち、「女と子供だけ残して、男はすべて殺せ」と言われたのに、殺さなかったので罰を受けたことを知っていますか。
どうしてそうなったか、考えてみましたか。サタンの男を生かしておけば、 サタン世界が再び侵犯するので、そのようにさせたのです。
サタンの男がいれば、自分の妻を連れていって思いどおりにするので、男さえ脈を断ってしまえば、子供と女は天の側に属することになり、その制度がなくなるのでそうさせたのです。
そうしなかったことにより、異邦の神をあがめ、あらゆる異邦の淫乱(いんらん)な風俗が入ってきて、天の国が侵犯されたので、サウルが罰せられたのです。(124-202,1983.2.15)

※ 偉大な二代王様のメッセージ 神の国の進軍が始まった ※


鉄の杖フェスタ亨進師講演2019 1013


世界に拡散しましよう!!!
ホサナ、ハレルヤ、アジュー
神の国の進軍が始まりました。


偉大な二代王様、マンセー マンセー マンセー。



Stand up, Stand up for Jesus | With Lyrics
讃美歌380番
(Stand Up for Jesus)


立てよ、いざ立て 主の兵(つわもの)
見ずや、御旗(みはた)の ひるがえるを
すべての仇(あだ)を 滅ぼすまで
君は先立ち 行かせ給わん


立てよ、聞かずや 主の角笛
いざ 戦いの 門出急がん
君が隊(て)につく この身なれば
雲なす仇も 何か恐れん


立てよ、我が主の 力により
神の鎧(よろい)を 堅くまとい
御霊(みたま)の剣 打ちかざして
おのが持ち場に 勇み進め


立てよ、戦(いくさ)は やがて終わり
永久(とわ)の勝ち歌 高く歌い
尽きぬ生命(いのち)の 冠(かむり)を受け
栄えの君と ともに治めん
(Japanese, Roman character)
Tateyo, iza tate! Shu no tsuwamono,
Mizu ya, mihata no, hirugaeru wo.
Subete no ada wo, horobosu made,
Kimi wa saki-dachi, yukase-tamawan.
Tateyo! kikazu ya, Shu no tsuno-bue,
Iza, tatakai no, kadode isogan.
Kimi ga te ni tsuku, kono mi nareba,
Kumo nasu ada mo, nani ka osoren.
Tateyo! waga Shu no, chikara ni yori,
Kami no yoroi wo, kataku matoi,
Mitama no tsurugi, uchi-kazashite,
Ono ga mochi-ba ni, isami susume!
Tateyo! ikusa wa, yagate owari,
Towa no kachi-uta, takaku utai,
Tsukinu inochi no, kamuri wo uke,
Sakae no Kimi to, tomoni osamen.