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西郷どんの時代、150年まえから朝鮮半島は日本にとって大変重要な国であった。




NHKドラマ 西郷どん、が終わりました。


最終回は何度見ても、涙がちよちょぎれます。
命乞いをすれば、西郷家の恥になります、(妻いとどんの言葉)
あの時代のひとは、ほんまに立派じゃのう。(私の言葉)


あの大きな体でご維新から取り残された侍たちを
だきしめ、呑み込み、つれさりました、(ドラマ内の言葉)


武田鉄矢氏のyutyube より
解説です。


西郷どんは、当時、危機意識において、間違いなく
当時のロシアは朝鮮半島をかいして日本に降りてくる、
そのロシアと戦うために薩摩兵を残す、その設計図のずれが西南戦争につながった。
かれは朝鮮を目指しているわけではない、それはその背後にいるロシアに対してのことで、まちがいなくロシアは朝鮮半島をはしごにして日本におりてくる、明治の初年あたり、ロシアは対馬と樺太に上陸していた、そのロシアに西郷どんは大変な危機意識をもった。


西郷どんの直感では
朝鮮王朝は危機意識で動くような民族ではない、朝鮮は外交において相手の無礼や無知を笑いそれが、たとえ、ささやかな間違いであっても、儒教の礼にてらして相手を見下す、いったん約束してもまもらない、そのように見ていた。(今の文政権も同じ)


※西郷どん直感について※
以前NHKの番組で、秀吉の時代朝鮮に出兵して残酷に朝鮮民族を殺した歴史があるが、その折、陶工や芸術家をたくさん捕虜として日本に連れ帰った、
そして江戸時代になり、朝鮮王朝からの使節団がたびたび訪れて、その捕虜としてつれてきた、人々を朝鮮に返すようにとの要請がなされた、しかし、あまり朝鮮にはかえらず数百人だったらしい、捕虜として日本につれてきた人々は何万にんもいたらしいが、なぜ帰らなかったかについて、NHKの番組では、やはりだいぶぼかして表現していたが、芸術家、特に陶工たちは、階級の一番したのペクチョン(常人)
であったので、朝鮮に帰りたい思いはあっても、帰るとまたあの貧しい差別される立場に戻らないといけない、そのジレンマがあった、これは韓国ドラマ イースイチンなどでも
たくさん見た。ことごとく儒教の差別主義が根付いてしまった朝鮮の歴史。この李氏朝鮮の400年が悪いと、主張する人が多い。


 朝鮮使節団は江戸時代将軍が変わるたびに、600人からの使節団を日本に送ってきた、それは儒教のしきたりで敬意を示して、日本にやってきた、しかし、西郷どんが、朝鮮に行く前に、少人数で明治政府の人間が朝鮮に渡った、それを朝鮮は儒教的にみて大変無礼な行為であり朝鮮王朝を侮辱した行いとみた、そのような経緯があったが、西郷さんは、軍をつれてゆくのではなく、あくまでもロシアの脅威を説き、連合してこの脅威に立ち向かうことの説得に行きたいと申し出たが、大久保以下留学した、明治政府の重鎮たちはこぞって反対した、それで、西郷どんは、いまの朝鮮王朝は危機意識では動かないとの直感をもった西郷どんであったとの解釈をする武田のてっちゃんもおもっていると、個人的に思っている。


だから西郷どんは “”この国は外交で動くような国ではない“” と、


少数で朝鮮に渡り交渉がうまくゆかず、自分を殺しにくる、そのとき一緒に殺されるべき部下も決めていた、これが別府伸介 ふたりで一緒に殺される。そうすると、“”幕末の英雄、西郷を殺したな。。。と日本中がまとまると、それで、薩摩軍が黒幕のロシアと対抗する、中国のどこかの一角で中国の許可を得て、ロシアと対抗するそのトップバッターを全員薩摩隼人の軍が、チェストーと。。戦う


ロシア軍を打ち破ることのできる軍は薩摩軍だと西郷どんは思っていた。


そのような計画をしていた、この打ち合わせの資料が最近続々とみつかっているそうである、西郷という人はものすごく緻密な人、抽象的なことは一切話さない、西郷は手紙をきちんとたたんで、保存していたらしい。


この人のことを坂本龍馬はうまく言い当てている、
龍馬が先生の勝海舟に“”西郷というのは、どんな人物か“” ときかれて


“”西郷はおおきな鐘なり、おおきくたたくと大きく鳴り、
小さくたたくと小さくしか鳴らない“” 
西郷隆盛はどんな顔をしていたか、日本人だとあまり信用できないでしょうが、
当時のイギリスの外交官アーネストサトウは


“” 西郷の目はおおきくクロダイやのように輝き、ものをいう時のほほえみは、なんともいえぬほどの親しみがあった。“”  西郷どんはガタイが大きく背が高かったらしい。


150年まえから朝鮮半島は日本の安全にとって大変重要な地であった。


そして今、中国と北朝鮮の脅威が日本にせまる。


※予言者エレミアは、エジプトに行くと死ぬと予言していた、
しかしエレミヤはそれを知っていて 下層の貧しいひとびとと共に、
エジプトに行き、行方不明になった。


なぜか、西郷どんは、どう死ぬかをいつも考えていた、その死が
どう生きるかを考えていた。死してこの国を守りたかったのである、
西南戦争、結局城山での西郷どんの死は、武士の世を終わらせる
闘いとなった。


西郷どんが、いちぞうどん(大久保利通)から 投降すれば、
命をすくうとの電信をうけとり。


“” 甘かとは、おはんじゃーぁ、いちぞうどん、おいに情けをかければ、
自分で自分の首をしめることになっどぅ、こげな情けはうけられん “” 
というシーンがある。


西郷どんと、いちぞうどんは本当に兄弟のようにすごした、
この国をどのようにするか
その構想の違いが、殺しあうしかない悲しい結末になった、


ドラマにもあったように、西郷どんの死を知った、
いちぞうどんは本当に気がふれたように、泣きくずれたという。。。
そして、いちぞうどんも、西郷どんの死からまもなく、
その八か月のちに刺客によってこの世をさった。


西郷どんが戦場に連れて行った犬がはるか遠い薩摩の自宅まで帰ってきた。


まあこのように武田のてっちやんが、熱く語ってますけん。、✨😉👍


西郷どんの魂とともに。。。。


そして早朝四時、全員で政府軍にうってでた。
まったくあっぱれな武士の最後でした。なぜか日本人は
このような最後に感動する。
死して西郷どんはどれだけおおきな人物であるか
歴史に示した、そして多くの人がこの西郷どんを
慕い、尊敬する人がいっぱいいるのである。


薩摩隼人 チェスト気張れぇ。。。。ですね。。。。


そして今、滅びゆく韓半島をにありて、
死を覚悟して戦う戦士たちが
今たちあがっている。日本のマスゴミは
この大きな運動を取り上げない


愚かで、謀略みちた文政権、セオゥル号の子供たちを
犠牲にしてまでして、朴槿恵を弾劾にもちこみたかった


愚かな文政権と戦う韓国の老兵たち、クリスチャンたち
が立ち上がっている。
この人たちは本当の侍たちである。



一日西郷に接すれば、一日の愛が生じ、三日接すれば三日愛が生ずる。



※ 地上で真のお父様に出会い愛されたわたしたち、
お父様の大きな愛に出会って
永遠に離れられたくなくなるのですね。
愛とはなんと大きな磁石なのでしょうか。
そのような大きな愛の力で前進したいですね。


西郷どん、霊界で真のお父様にであっているでしょうか?
この最後の闘いの時、地上に主とともに再臨し
私たちと共に戦ってください。


そういう思いがわくほど魅力的な西郷どん。


西郷どんは日本のために死んだ、


キリストは全人類が罪人であり、キリストの
愛が、神の愛であることを、知らしめるために十字架の道を行かれた。


“” チエスト、気張れぇ!!! “”


。。。。
西郷隆盛が守りたかったもの【CGS ねずさん 日本の歴史 9-12】
この説、おもしろい、
この辺が真実と思う
いずれにせよ、外国勢力は、日本と朝鮮を戦わせたかったし、
西郷どんが邪魔だった、西郷どんは朝鮮とも仲良くなれる人であったかも知れない、
国内勢力だけではなく、外国のディープステイトなどの、黒子に操られた幕末の志士たち。真実はどこに有る⁉️
まあ、嘘八百を教える、教科書
真実は教科書に書かれていない
とは 今年のノーベル賞受賞者本庶佑教授
のことばですが。なるほど。。。



第9話 西郷隆盛と征韓論 〜「征」の真の意味とは?〜【CGS ねずさん】


別府晋介 - Wikipedia